旅人たちの足跡残る悠久の石畳道 ― 箱根八里で辿る遥かな江戸の旅路 ―
『天下の嶮』と歌に唄われた箱根山を東西に越える一筋の道、東海道「箱根八里」。
江戸時代の大幹線であった「箱根八里」には、繁華な往来を支えるために当時の日本で随一の壮大な石畳が敷かれました。
西国大名やオランダ商館長、朝鮮通信使や長崎奉行など、歴史に名を残す旅人たちの足跡残る街道をひととき辿れば、宿場町や茶屋、関所や並木、一里塚と、道沿いに次々と往時のままの情景が立ち現われてきて、遥か時代を超え、訪れる者を江戸の旅へと誘います。
『日本遺産(Japan Heritage)』は、地域の歴史的魅力や独自文化を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が『日本遺産』として認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力あふれる有形・無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。
神奈川県小田原市・箱根町、静岡県函南町・三島市を結ぶ旧東海道「箱根八里」は、江戸時代の街道旅を追体験するストーリーにより、2018年5月に『日本遺産』に認定されました。
「箱根八里」には、『日本遺産』を構成する多くの文化財があり、往時の旅を彷彿とさせる城下町や宿場町、一里塚、石畳、並木、関所、茶屋のすべてが日本で唯一現存しています。
箱根旧街道「箱根八里」は、江戸時代初めに徳川幕府が整備した東海道の一部です。標高約10mの小田原宿から標高846mの箱根峠を登り、標高約25mの三島宿まで下る8里(約32km)の道です。
この道は「天下の嶮」と歌に唄われたように、東海道第一の難所とされていました。「箱根八里」のうち、小田原宿から箱根関所を通って箱根峠までを東坂と呼び、箱根峠から三島宿までを西坂と呼んでいました。
箱根山は小田原の酒匂川(さかわがわ)と並び、外様大名の大藩のある西国から江戸を守るための最重要地でした。かつてこの険しい坂道をオランダ商館長の江戸参府に同行したシーボルト、将軍家への拝賀のために江戸に向かう朝鮮通信使の行列、長崎へ赴任する長崎奉行の一行、伊勢詣でや金毘羅参りの人々など、さまざまな旅人たちが行き交いました。
当初、箱根旧街道は雨や雪の時など脛までつかるぬかるみとなるために竹が敷かれていましたが、延宝8年(1680)に2間幅(約3.6m)で石が敷き詰められて以降、石敷きの道となりました。
「箱根八里」に現存する一里塚のうち、錦田一里塚は大正11年に国史跡に指定されました。
平成16年には、西坂・東坂の計約5kmが国史跡に指定されました。